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BREITLING LEGEND  『TIME OF LEGEND』 制作スタッフが語る パパ・シュナイダーの想い出

『TIME OF LEGEND』 制作スタッフが語る  パパ・シュナイダーの想い出
  • 山田龍雄山田龍雄 Tatsuo Yamada
    20年以上にわたり時計専門誌等の編集や執筆活動を続け、2005年に時計専門店や百貨店の時計売場で配布される時計情報紙『ウォッチ ファイル』を創刊。2006年に発行されたブライトリングの集大成本『TIME OF LEGEND』の執筆にも携わる。酒と競馬と東京ヤクルトスワローズをこよなく愛する50代。
  • 南仏の自宅を訪ねて聞いた
    アーネスト・シュナイダー物語


     今、改めて思えば、アーネスト・シュナイダーは私にとって特別な存在だった。これまで数多くの“時計人”に会い、話を聞いてきた。が、最も心を打ち、記憶に刻まれたのがアーネスト・シュナイダーへのインタビューだった。それは2003年、南フランスのご自宅を訪ねたときのことだった。稀代の傑作クロノマットを誕生させた本人に開発ストーリーを聞くことが目的だったが、2日間に渡る超ロングインタビューは、その開発秘話の域を超え、まさにアーネスト・シュナイダー物語を聞く思いだった。人生を賭けて取り組んだブライトリング復興の話から始まり、その裏に隠されたさまざまなエピソードを真摯に語ってくれた彼の言葉ひとつひとつが新鮮であり、胸に響くものだった。つねにユーモアを忘れず、相手の求めていることを的確に理解し、言うべきことを丁寧に伝え、言葉を尽くす。それが彼のやり方であり、人となりなのだろう。


      クオーツ全盛の中で誕生した自動巻きクロノグラフの「クロノマット」が、機械式時計復活の起爆剤になったと、よく言われている。厳密に言えばそれは正確ではない。物事を動かすのはやはり人であり、あのインタビューでそれを痛感した。エレクトロニクスの専門家の彼が、クオーツ時計の雑な扱われ方に違和感を覚え、時計職人がひとつひとつ丁寧に作り上げる機械式時計こそが高級時計としての真価があると改心したのも彼ならではの慧眼ゆえだろう。ブライトリング復活の基軸に自動巻きクロノグラフの開発を置き、希望を失った時計職人たちを説得し、機械式ムーブメントの会社を動かし、その情熱に共感した人たちが協力し合い力となり、時代を動かしていった。「エレクトロニクスのプロだった私にとって、皮肉な話ですがね」とはにかむように笑ったアーネスト・シュナイダーの顔が今でも鮮明に浮かんでくる。おそらく彼は、誰にとっても特別な存在だったに違いない。傑作時計にはつねに人のストーリーがあることを教えてくれ、その感謝の気持ちを伝えることができなくなってしまった今はただ、心からご冥福をお祈り申し上げるだけです。

  • 田中克幸

    田中克幸 Katsuyuki Tanaka
    1960年、名古屋生まれ。1994年から2014年までスイス時計取材を経験。特にブライトリングは深みのある取材を繰り返してきたので“通り一遍の仲”とは思えない縁を感じている。アンティークを含めブライトリングは4本所有するが、1997年発表の「B-1」をプロの編集者の計器として常用する。『TIME OF LEGEND THE BREITLING INSIDER』担当編集者。Gressive編集顧問。

  • 山荘での取材で接した
    気さくな“幻の王”


     私のスイス取材は1994年春のバーゼル・フェア(当時の名称)から始まった。まさにアーネスト・シュナイダー氏が、ブライトリングの社長の座を息子のセオドアへ譲り、自らは会長の座へ収まった年である。当時、フェアに先立ち開催されたワールドミーティングに出席した日本の担当者は、「最初テディ(セオドアの愛称)のスピーチがあったのですが、背景のスクリーンにハンティング中のアーネストの写真を映して『父は休暇に入っている』とユーモアたっぷりに言って皆の笑いを誘ったんですね。これは今後、私が指揮を執るっていう宣言だな、と思いました」と述べた。というわけで、王位継承の年にスイス通いを始めた私にとって、以降パパ・シュナイダーは伝説のみを耳にする幻の王様となった。


      その王様が幻でなくなったのは、ブライトリング本社公認のオフィシャル・ブック『TIME OF LEGEND THE BREITLING INSIDER』取材のためインタビューを試みた2005年の6月である。場所は彼の故郷であるフリブール州の山岳地帯にある山荘。スイス伝統のホルン楽隊が演奏を奏でるなか、民族衣装に身を包んだシュナイダー夫妻がにこやかに我々を迎えた。


      時間はたっぷりあるから何でも聞いてくれ、とゆったりと構えるアーネスト氏へのインタビューは丸二日間。時にユーモアたっぷりに話すパパ・シュナイダーだがその記憶力には舌を巻いた。小ぎれいな山荘に遠くはアルプス山系を望む静かな景観・・・、この人はこのような環境で余生を送るんだな、と思っていたがこれが大間違い。この後、時を置かずして南仏でのワインとオリーブオイルのビジネスを成功させたのである。才覚だけで時計、ワインとオリーブオイルという振り幅の激しい事業を成功できるだろうか? 今はその真実を知る術は無いが、取材中の彼の言葉が本心ではないかと思う。


      彼いわく「私は負け戦が嫌いなのです」。この言葉は私の身体の芯に深く根を張り、時々取り出しては育てるようにしている。

  • 高橋和幸

    高橋和幸 Kazuyuki Takahashi
    1951年、徳島県鳴門市生まれ。父の影響で10歳から一眼レフカメラを手にする。時計を撮り始めて30年になるが、初めての撮影が『Goods Press』のブライトリング特集だった。スイス・バーゼルへは1994年から通う。黒文字盤のクロノグラフに魅了されている。ブライトリングメンバー誌『インフォ・ブライトリング』の撮影も担当。写真家。

  • 「MOI AUSSI」 
    アーネストの思い出


     スイスのバーゼル・フェア(当時はそう呼んでいた。現在はバーゼルワールド)に通い始めた1994年からしばらくして、ブライトリング本社からカタログを作りたいので写真を撮ってくれないかというオファーがあった。それは1週間かけてブライトリングのサプライヤーを訪ね、使用パーツの製造過程を全て写真に収めるということだった。なんで僕に? と思ったのだが、この疑問は行く先々でも同様で「どうしてジャポネが撮るんだ」と思っている様子。無事仕事を終えようとした頃、グレンヘン本社のエントランスでシュナイダー父子に遭遇した。とっさに「このような仕事を頂いて光栄です」と英語でお礼を言ったら、一緒にいたマーケティング担当者が何やら説明した。ブライトリング社長テディ・シュナイダーの父、アーネストはこちらをみて静かに「Moi aussi」(私もだよ)と言った。


      それからしばらくして『BREITLING BOOK』(徳間書店刊)を作り、その後『TIME OF LEGEND』の撮影を担当した。場所はシュナイダーの所有するスイスでの山荘だった。深夜に及ぶロングインタビューにも気持ちよく応え、たまにはジョークを発するぐらい元気だった。


    「きっといい本になるに違いない。いや、いい本にしなくてはならない」。そう心に強く思った(出版も担当したからだ)。


      翌朝、彼は小屋のデッキで山を見ていた。その後ろ姿にそっと近付き、以前にカタログを撮影させてもらったものですと言った。彼はしばらく僕を見た。僕は前と同じように「今回撮影させてもらえるのはとても光栄です」といった。


    「サンキュー」という言葉が返ってきた。少々期待ハズレだったが、いい本にしてこれを届けたいと思った。そこでもう一度先ほどのフレーズを発したかったのだ。「貴方を撮影させてもらって光栄です」そして、彼に言って貰いたかった。「MOI AUSSI」と。


      ブライトリングを引き継ぎ、難関を切り抜け成功させた男の背中は前に迫る雪山よりも大きく見えた。

  • 名畑政治

    名畑政治 Masaharu Nabata
    1959年、東京生まれ。1980年代半ば、フリーランス・ライターとしてアウトドアの世界をフィールドに取材活動を開始。1990年代に入り、カメラ、時計、万年筆、ギター、ファッションなど、自らの膨大な収集品をベースにその世界を探求。著書に「オメガ・ブック」、「セイコー・ブック」、「ブライトリング・ブック」(いずれも徳間書店刊)、「カルティエ時計物語」(共著 小学館刊)などがある。Gressive編集長。

  • 最上級のもてなしで歓迎してくれた
    パパの山荘でのインタビュー


     これまで私は20年以上、ブライトリングの取材を続けてきたが、もっとも印象深いのが『TIME OF REGEND』取材のために訪れたパパ・シュナイダーの山荘である。


      2005年6月22日。午前中に文字盤工場取材を終えた我々は、午後にグレンヘンのブライトリング本社を訪問。そして近くの空港でヘリコプターに乗り、ベルナー・オーバーラント(アルプス造山運動により、その北側に形成された高山帯)の麓(ふもと)に到着。そこでオーストリアのプフ(Puch)の軍用六輪トラックに乗り換え山を登り始めた。


      六輪トラックは軽快に山道を登り、眼前には、いかにもスイス山岳地帯らしい大パノラマ。やがて尾根の上に瀟洒な山荘が現れると、どこからともなくアコーディオンの音が。見ればテラスにチロリアン・スタイルで決めたパパと夫人が手を振り、隣にはアコーディオン弾きがいる! なんというもてなし!


      山荘に着き、用意されたウェアに着替えると、パパは「さて、ちょっと散歩に行こうか」と山道を登りだした。着いたのは百年以上も前に建てられた羊飼いの小屋。パパはスタスタ入ると我々を招き入れ、小屋番に指図してお茶をご馳走してくれた。


      その散歩から戻る途中、今度はアルプホルンの音が聞こえてきた。山荘に近づくと、これまたチロリアン・スタイルのホルン楽団! 


      到着すると、パパがひとりの女性を紹介した。「今日はこの地方の鱒料理をご馳走しましょう。シェフは麓の村から呼んだこの方。では、そこの鱒をバケツに移してシェフに渡してもらえませんかね?」


      見ればホルン隊の脇にある丸太をくりぬいた生け簀に何匹もの鱒! これを手づかみでバケツに移し、シェフに渡し終わると、パパはニコニコしながらこう言った。


    「今日はすべて告白しますから、遠慮しないで質問してください」


      その夜のインタビューが、この上なく楽しく充実したものとなったことは言うまでもない。ありがとう、パパ! 安らかに。


構成:名畑政治 / Direction:Masaharu Nabata
文:田中克幸 / Text:Kastuyuki Tanaka
写真:高橋和幸(PACO)、 堀内僚太郎/ Photos:Kazuyuki Takahashi(PACO), Ryotaro Horiuchi
協力:ブライトリング・ジャパン / Special thanks to:BREITLING JAPAN


BREITLING(ブライトリング) についてのお問合せは……
ブライトリング・ジャパン株式会社
〒105-0011 東京都港区芝公園 2-2-22 芝公園ビル
TEL: 03-3436-0011
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