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Watch Person Interview vol.70フレデリック・コンスタント マスター・ウォッチメーカー ピム・コースラグ インタビュー

創業者と学生。ふたりの出会いが
マニュファクチュール体制を確立させた

創業者と学生。ふたりの出会いがマニュファクチュール体制を確立させた

「『ムーブメント開発に協力してほしい』というピーターの呼びかけに対して名乗りを上げたのは、今にして思えばずいぶんとチャレンジングでしたが、クリエイティブな仕事ができることは間違いありませんでした。そこに大きな魅力を感じたのです」。

  シチズンのマルチブランド戦略によって2016年、同社の傘下に収まったフレデリック・コンスタント。シチズンウオッチグループの中では高価格帯ブランドとして位置づけられ、このゾーンに厚みを持たせたいシチズンと、日本における販売網の拡大を狙うフレデリック・コンスタントの思惑が一致した形だ。


  シチズン傘下での国内販売が開始されてから4カ月が経った2017年12月、フレデリック・コンスタントのマスター・ウォッチメーカー、ピム・コースラグ氏が来日した。目的は「シチズンがフレデリック・コンスタントを扱うようになってまだ日が浅いので、技術的な情報をシチズンの時計師にレクチャーすること。そして、セールスチームに向けたプレゼンテーションを行うため」だ。


  1988年、ピーター・C・スタース氏とアレッタ・スタース=バックス氏によって創設されたフレデリック・コンスタントは、1994年にダイアルに設けた小窓からムーブメントの動きを見られる「ハートビート」をヒットさせ、その後、2001年にはマニュファクチュール化を宣言。この改革における立役者のひとりが、当時20歳だったコースラグ氏だ。


  コースラグ氏は、18歳の時にアムステルダムの時計エンジニア学校(Zadkine Vakschool Amsterdam)に入学。当初はジュエリーのデザインを学ぶ予定だったが「時計にはデザインと技術、両方の要素があった」ことから、入学後2週間でウォッチメーカーのコースに転向。その後、コースラグ氏は校内でベストウォッチメーカー賞を受賞し、スイスの時計メーカーの見学やインターンシップの機会を得る。


「学校では主に時計の修理を教わっていたので、ムーブメントの製造現場を目の当たりにしたのはその時が初めて。何もかもが自分にとっては衝撃的な体験でした。その時です。『自分はスイスの時計業界で仕事をするべきだ』と思ったのは」


  訪れた工房のひとつにフレデリック・コンスタントがあった。


「訪問した時、ピーターが私たち学生に向かってこう言ったんです。『誰か、このなかでフレデリック・コンスタントの時計づくりを手伝ってくれる人はいませんか?』と。理由は、ハートビートを6時位置に設け、他社が真似できないモデルを製作するためです。それには従来のETA社製ではなく、自社製のムーブメントを作る必要がありました。ピーターは、私たち技術者養成学校の学生に仲間を募ったのです」


  名乗りを上げたのはコースラグ氏。


「どのように作ればいいのか分からないけれど、挑戦します」


  こうして、フレデリック・コンスタントで時計師としての第一歩を踏み出すこととなった。

取材・文:竹石祐三 / Report & Text:Yuzo Takeishi
写真:湯浅立志(Y2) / Photos:Tatsushi Yuasa(Y2)


フレデリック・コンスタント(FREDERIQUE CONSTANT) についてのお問合せは……
フレデリック・コンスタント相談室
Tel.0570-03-1988
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